「エンツォ王宮」は、イタリア北東部にあるエミリア=ロマーニャ州ボローニャにある宮殿。1249年から1272年に亡くなるまで、この地にとらわれていた神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の息子「エンツォ (サルデーニャ王)」に因んで「エンツォ王宮」と呼ばれます。司法庁を置くために建築された当初は「Palatium Novum(Palazzo Nuovo)」=「新しい宮殿」として知られていましたが、エンツォが1249年にフォッサルタの戦いで敗れ、敵対するボローニャの捕虜となってこの地に幽閉されて以降、「エンツォ王宮」と呼ばれるようになりました。
夜は天井に吊り下げられた檻に入れられていた、と伝えられる「エンツォ」ですが、昼間は比較的自由に宮殿内を散策することができ、女性と会うことも出来たとか。詩を好んだ彼は、父フリードリヒ2世を超える詩の才能を持っていたともいわれ、死ぬまで詩作を続けたと伝えられています。